まず、東洋の哲学の参考になる西田幾多郎の「禅の研究」(明治44年発行)[3] の文章を紹介します。
知と愛とは、普通には全然相異なった精神作用であると考えられている。 しかし、余は、この二つの精神作用は決して別種ものではなく、本来同一の精神作用であると考える。しからばいかなる精神作用であるか。
一言にていえば、主客合一の作用である。我れが、物に一致する作用である。なにゆえに知は主客合一であるか。 我々が物の真相を知るというのは、自己の妄想憶,断、すなわちいわゆる主観的なものを消磨し尽くして、物の真相に一致したとき、はじめてこれをよくするのである。例えば、明月の薄暗いところのあるは、ウサギがもちをついているのであるとか、t地震は地下の大なまずが動くのであるとかうのは主観的妄想である。
しかるに、我々は、天文・地質の学において、かかる主観的妄想を捨て、純客観的なる自然法則に従って考究し、 ここにはじめて、これらの現象の真相に到達することができるのである。我々は客観的になればなるだけ、ますます良く物の真相を知ることができる。
数十年来の学問進歩の歴史は、我々人間が主観を捨て、客観に従いきたった道筋を示したものである。…
没我傾向は日本だけではありません。東アジアで受け入れられてきた儒教や仏教にもその特徴が見受けられ、その伝統は宗教として現在でも残っています。
10年前の東日本大震災で被害の大きかった地域に米国の児童から膨大な量の励ましの手紙が届き、 それを手分けして翻訳しなければならないということで、翻訳のボランテア活動の募集に応募したことがあります。
米国の児童からの手紙には、「自分の名前を名乗り、所属する学校や、家族を紹介して、 自分の経験を語ってから、神の御加護がありますように」と励ましの言葉で結ばれていました。日米の文化の違を思いました。
言葉は事物を代表するシンボルであり、記号ですが、言葉で現実の世界を表現することを重ねて、言葉の間で関係が組み込まれます。現実を表現する際に共通に使われる言葉について最初に論議したのが古代ギリシャの哲学者達でした。
その 「 真理の探求」が科学の文明の源流になっています。
東洋では人間のあり方が関心事となり「 倫理 」 が問われてきました。科学で必要なものは普遍的な法則とその証拠となる「事実」 です。
エフェソスのヘラクレイト(紀元前540--480年 )が「自然について」という書物をアルテミスの神殿に奉納しました。
断片の文書として「冷たい物が熱くなり、熱い物が冷たくなる。」 「湿ったものが乾き、乾いたもの湿める。」だから、「万物は火の交換物であり、火は万物の交換物である」という言葉が残っています。
その文章は、句読点がなく,わざと不明瞭に書いた のだと言われたほどです。しかし、そこにはどのように科学的な概念を獲得するるかが語られています。ヘラクレイトスの言葉に「上り坂も下り坂も同じである」という文章があります。 高度は「上り坂も下り坂も同じである」と書けば現在での通用する文章になります。
現在では「高度」とか「温度」という概念により単位を定義して、変化する量を数値で求めるようになっています。 科学では数式で処理するだけでなくその前に事物を科学的に検討することが重要です。 学ぶ方法は理論を先行しますが、創造する方法は観察を先行します。後者は、自分の経験を重視して、他に依存しないことが必要です。科学を創造する方法は科学を学ぶ方法とは相違します。
情報化時代になって、膨大な情報の中から必要な情報を抜き出して活用することが多くなりました。しかし、自ら新しい分野を切り開くパイオニアが求められてtます。
[参考文献]
[3] 西田幾多郎、「禅の研究」、弘道館、(明治44年)1911年2月。
目次へ -1.1-